欠損男子

色々欠けてる人のブログです。

マイノリティには、たくさんのプレゼントを与えられている

僕が不登校になってよかったことがいくつかある。

 

不登校だったからこそ、同じ不登校経験にある人とはすぐ仲良くなれた。

「君も学校行ってなかったん?仲間ー!」って感じで、不登校というだけで仲良くなることができる人は結構いた。

 

不登校だったからこそ、不登校児支援の活動に興味を持って取り組むことができた。その活動の中で、大学生、大学教授、臨床心理士、別の大学の学生、多くの人と出会えた。

 

不登校だったからこそ、社会学の視点から不登校を研究しようと思えた。

そして不登校という自分にとって重大なテーマを扱ったからこそ、教授に「文句なし!」と言われるまでの論文を書けた

 

 

不登校は、ネガティブで排他的なイメージがある言葉だ。不登校児というと、どこか社会の輪の中から外れている印象を抱く人が多いのではないだろうか。

僕はそんなネガティブで、排他的なものから多くのものをもらった。友人、ご縁、挑戦するチャンス、情熱をかけられる研究テーマ。多くのものを不登校からもらった。

 

 

 

マイノリティになるということは、新たな社会との繋がり方を得ることなのではないだろうか。

マイノリティだからこそ、似たような人と繋がりやすくなったり、普通の人と違う立場から人と、社会とつながることもできる。

マイノリティであるということは、悪いことだけではない。マイノリティであることは私達にたくさんのプレゼントを与えてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

僕は去年の春、発達障害というマイノリティ属性を手に入れた。

発達障害というマイノリティ属性を手に入れたことで、発達障害を持った人と繋がるきっかけが増えた。また健常者の友達から発達障害について聞かれるようなポジションにもなった。

発達障害というマイノリティになったからこそ、また新しいご縁が生まれたし、友達との関係性も少し変化した。

 

発達障害という、決してポジティブではないものが、これから僕にどんなプレゼントを運んでくるのか。

それを楽しみにしている。