欠損男子

色々欠けてる人のブログです。

どんなに苦しくても、生きていればなんとかなると思う。

「あんた学校辞めたり、学校行かない子に勉強教えたり、その親の支援したり、研究したり、いろいろやってきたんじゃん。それら全部整理したら価値にある何かになると思うよ。」

 

友達にそんなことを言われた。ごく最近。

あと「不登校でも別に大丈夫だよ!生きてていいよ!みたいなやつは広がりすぎてもうみんな飽きてると思うから、いざ学校行かなくなった時にどうすればいいかを考えな」とも言われた。その通り過ぎて耳が痛いし、その辺のことをまとめきれていない自分がいる。

 

という訳で、自分のやってきたことから何か価値を提供できないかなと思って、いろいろまとめてる。そしてこうやって発信してみる。

 

 

はじめに学校にいけなくなったり、何か辛い状況に陥ったとき、大事なことってなんだろうって考えてみる。自分の経験から思い返してみたり、少ないながらも今まであってきた人達を思い返して。

 

そしたら、

1番大事なことは死なないことで

2番目に大事なのは捻くれないこと

なのかなって思った。

 

 

 

学校に行けなくなってしまった経験がある人は、自信を無くしていたり、ちょっと捻くれてしまったりしてしまう人が多いと思う。

というか、あれだけ不登校者に対するネガティブイメージが蔓延している中で自信を無くすな、捻くれるなって方が無理だと思うし、えげつないいじめとか、ドラマの世界かよって思うような問題にぶち当たってしまった人も少なくない。

僕の過去を思い返してみても、学校では「あいつどうしたの?」みたいな目で見られて、家では学校に行かないことを責められて、どこにも居場所がなかった。ネットでもまだ不登校への理解とか広がってなくて、田舎だからそういう子に向けた支援もなかった。毎日毎日自分はどうなるんだろうかと怯えながら生きていた。同じような状況で生きていた人は少なくないと思うし、あの状況で自尊心を失うな、捻くれるななんて無理だと思う。

結果として僕は超捻くれた。もともと捻くれてたけどさらに捻くれた。「自分の人生が終わった」「自分はダメだ」「自分の人生を取り返すために人と違うことをしなければならない、戦わないといけない」「自分はダメじゃないと証明しないといけない」と強く強く思い込んだ。それが後々の行動に少なくない影響を与えて、結果として自他共に不幸な結果になってしまったと思う。

 

本当は何も終わってないし、何も失っていないし、何も奪われてないし、特別に何か頑張らないといけない訳でもなかったのだけど。それに気づいたのはつい最近だ。

 

そんな状況だから、自信を無くしすぎて死にたくなってしまう子や、自分なんてダメなんだって捻くれてしまう子も出てくる。家庭教師してた時「先生、僕の人生もう終わりなんですか」って泣きながら相談されたこともあった。本当にみんな悩んでたし、苦しんでた。多分僕には想像もつかないくらい。

 

 

「学校に行けなくなった時どうすればいいか」

そんなことを問いかけられた時、色々と言えることはある。

好きなものに熱中したら?とか

学ぶことはやめない方がいいよ、とか

価値観を広げるために、旅に出たり大学を目指したりするものいいよ、とか

こんな支援施設やあんな支援施設があるよ、とか。

 

でも1番大事なのは何だろうと思ったら、上にあげた

死なないことと、捻くれないことなんじゃないかと思う。

 

なぜか。

世の中が常に進化していて、何もしなくてもマイノリティは生きやすくなっていく、もしくは、自分が生きやすくなるチャンスを掴みやすくなっていくからだ。

 

少なくとも、僕は生きていてよかったなと思う。

2010年に不登校というマイノリティ属性を得て、それから7年生きたが、この7年だけでも様々な動きがあった。

 

SNSとインターネット、スマホが普及し、あらゆる情報が集めやすくなり、離れた人とも気軽につながれるようになった。結果これまででは手に得れることができなかった解決策を得られるようになった。そして世の中には色んな人がいることが伝わっていった。不登校やマイノリティに関する情報もたくさん手に入るようになった。

 

2011年の東日本大震災が一つの契機となって、社会を良くしていこう、変えていこうとする活動が活発になった。結果として生きづらさを抱えた人たちに向けたサービスや仕組みがたくさん開発されるようになっていった。

今この瞬間にだって、マイノリティや苦しんでいる人が生きやすくなるような仕組みやサービスが産声を上げ、水面下で広がっている。

 

2015年にはアメリカ合衆国同性婚を認めたことでセクシャルマイノリティの理解が一気に進んだし、日本の一部の市町村で同性愛者のパートナーシップを認める動きが出てきた。

2016年には文部科学省不登校を問題と見なすことを撤回した。

2017年にはNHK発達障害者の特集を組み放送するなど、発達障害精神障害への理解も深まっていっている。

結果として世の中は、自分と異なるものに対して寛容になってきていると思うし、これまで生きづらかった人たちが少しだけ生きやすくなったのではないかと思う。

 

僕はこの7年間何もしていない。ただ確実に生きやすくなった。技術が進歩し、研究が進み、社会が変わったからだ。世の中が常に進化しているからだ。

 

こんな風に、何もしなくても勝手に生きやすくなるようなことはこれからどんどん起こっていくのだと思う。

だから今苦しい状況にある人は「自分なんてダメだ」とか「自分はもう終わりだ」なんて思わずに、自分の人生や自分自身を投げやりにせずに、とりあえず生きてみてほしいと思う。前に進んでほしいと思う。結構なんとかなるから。

自分の苦しさを軽減できるものがこの世界のどこかに既にあるかもしれないし、それは近い未来に用意されているかもしれない。自分が生きやすくなるそのチャンスを掴むために、捻くれずに生きていてほしい。

 

 

 

 

 

苦しくても、捻くれずに生きること。

 

これは不登校やマイノリティだけに大事なことじゃなくて、全ての人にとって大事なことだと思う。

 

生きていれば誰でも、どうしようもなく生きづらくなる場面に直面する可能性がある。目も当てられないような、生きるのをやめてしまおうかと思うほど苦しい出来事が起こる可能性がある。

それは交通事故や震災のようなもので、どんなに頑張っても避けらないこともあるし、何年も続くときがある。

 

でも生きていれば、生き延びてさえいれば、楽になる可能性があるのだ。楽になるチャンスがやってくる可能性があるのだ。

希望が無いと思って捻くれて、自分で自分の可能性を閉じてしまったり、自分や誰かを傷つけたりするのだけはしない方がいいと思う。自分で自分の人生を壊すのは辛くなるだけだ。

希望はあるから、前に進んでいったらいいのだと思う。

 

 

 

次の職を当てもないし、まだまだ病気の最中だけど、これが僕の人生で学んだことだから

捻くれずに前に進んで行きたい。

いつかこの経験で得たことを、誰かに価値として提供できるように。