不登校という言葉がそんなに好きじゃないし使いたくない。

不登校とか登校拒否とか、実はそういう言葉をあまり使いたくなくなった。

ただ一般的に多く使われているのは不登校という言葉なのと、不登校.comの語感がいいという理由でブログのタイトルにしている。

 

 

不登校とか登校拒否とかそういう言葉って、やはりネガティブなイメージが付きまとっている。怠けてるとか、甘えてるとか、弱いとか、コミュニケーションが苦手とか、病んでるとか、将来引きこもりになってしまうとか。そういうの。

不登校という言葉によって、学校に行っていた人は学校に行かなかった人たちに対してそのようなネガティブな目線を向けてしまうし、学校に行かなかった人たちは自分たちを不登校というネガティブな存在だと定義してしまって落ち込んでしまう。そんな現状があると思う。

 

 

学校に籍を置いているのに、学校に行かない人には様々な理由がある。

 

めんどくさい。お金がない。病気で休まないといけない。メンタルがしんどくなってしまった。いじめられて学校に行けない。発達障害や人と違ったところがあって学校にどうしても馴染めない。疲れ果ててしまった。

自分から学校に行かないことを選択した人も、本当は学校に行きたいけど学校側に課題があって行けない状態にある人も、自分の力ではどうしようもなくて学校にいけなくなってしまった人も、学校に行かないという行為が必要な人もいる。

そういう人たちをネガティブなイメージを持つ言葉で一括りにしてしまうのはどうなんだろう?何か別の言い方や括り方はないのだろうか。

 

学校に行っていない人には、いろんな人がいる。いろんな事情、思いを抱えた人がいる。学校に行っている人に、いろんな人がいるように。

そりゃあ中には「それはどうなの?」って人もいるけれど、それは学校行ってる人の中にもいるだろう?

そう思って、不登校とか登校拒否とか、そういう言葉に当てはまる人のことをただ「学校に行ってない人」と捉えたらどうかと考えている。ポジティブな意味もネガティブな意味もなく、ただ「学校に行っていない人」。

 

学校に行っている人と、学校に行っていない人は人体の構造的にも、精神的にも、本来何の違いはないはずだ。ただ、この社会の都合として学校に行っていないことは悪いこととされている。そして学校に行っていない人にはネガティブなレッテルが貼られ、時には偏見の目で見られ、時には差別される。そのネガティブさが不登校という言葉から醸し出されるイメージに現れていると思う。

だから不登校という言葉に違和感を覚えたり、使いたくなくなったのだと思う。現実はそこに(なんらかの事情もあって)学校に行っていない人がいるだけだ。

 

このブログの目的の1つとして、「学校に行っている人と、学校に行っていない人が共に生きる社会を考える」というものがある。そのような社会になるためには学校に行っている人も学校に行っていない人もどちらも肯定される社会であるべきだと考えている。しかし現状として、学校に行っている人が正しく、学校に行っていない人は間違っているという状態がこの社会には存在する。

不登校ではなく「いい悪いは別として、ただ学校に行っていない人」と捉える。わずかなことかもしれないが、このような視点、考え方はそのような状況を打開する1つの切り口になるんじゃないかと思ったりしている。