欠損男子

色々欠けてる人のブログです。

欠損男子

ブログを作り変えるとしたらそんな題名にするだろなってふと思った。

 

 

最近、人間的魅力というものは「有る」ところではなくて「無い」ところにやどるのではないかと考える。

 

失敗や欠点が多い人は安心できたり

完璧に見える人にどうしようもないダメなところがあったりしたら、なんか微笑ましくなったり

いつも強がっている人がふと弱音を吐くと、支えたくなったり

弱くて逃げてばかりの人に、愛おしさのようなものを感じたり

いつも明るく振舞っている人が実はものすごい心の闇を抱えていたらとても興味をそそられたり(これは少し違うか)

 

そういう経験って誰でもあるんじゃないかと思う。

人の弱点とか、欠点に惹かれる経験。

 

何かができないとか、何かが欠けているとか、そういうのって時と場合によってはすごい魅力になると思う。

人間的魅力って案外何かができるとか、何かがあるというところではなくて、何かが無い、何かが欠けている、というところに生まれるのではないだろうか。

 

 

 

恥ずかしいことを言うと、僕は魅力的な人間になろうとしていた。魅力的で誰からも好かれるような人間になりたかった。

魅力的な人になるために、僕はひたすら自分に何かを足そうとしていた。学歴とか、論文とか、旅行好きというキャラクターとか、仕事できるとか、服装とか。自分の欠けているところを埋めて、もしくは欠けている分だけ何かを足そうとしていたように思う。

そうやって魅力的な人間になろうとすればするほど苦しくなったり、疲れたりした。頑張れば頑張るほど空回りしているような気がして、どうして努力しても努力しても魅力的になれないのだろう?って思っていた。

 

でももし、もし人間的な魅力がその人が持っている何かではなくて、その人が持っていない何かに宿るとしたら、僕はすごく的外れなことをしてたのではないだろうか。

全て間違っていたとは言わないけど、僕はもともと持っている素晴らしい欠損を埋め、特に魅力的でもなんでもないものを身につけようとしていたのではないだろうか。

 

 

自分の欠けているところや、持っていないもの、コンプレックスは、これまでは悪いものとして処理してきた。でもそれ自体が魅力なのだとしたら、僕たちはそれとの付き合い方を考えていかないといけないと思う。

 

自分の欠損をどう付き合うか、自分の足りないところをどう活かすか。

そんなことを考えていきたいなと思った。

やりたいことよりも、休みが欲しい

やりたいことがある人がとても羨ましかった。

 

書くことで仕事がしたい、とか

こんなサービスを作りたい、とか

こんな世界を作りたい、とか

自由な生き方をしたい、とか

 

やりたいことがある人はエネルギーに溢れてキラキラしていたし、そんな人に僕もなりたかった。

 

自分もやりたいこと、やれることを探した。

自分の一生をかけられるようなこと、一生をかけてやりたいなと思うようなこと。

 

プログラミングをしたり、ライティングをしたり、旅に出てみたり、いろいろやって見た。

 

結果思ったことがある。

 

僕は、やりたいことよりも、休みと自分の時間、そして何もしないことを優先してしまう。

キャリアプランや働き方を考えてみても、僕はやりたいことやスキルの向上よりも、休みが多いことを優先してしまう。

スキルを向上させたり、自己研鑽に励んだり、挑戦することで、遊んだり休んだりする時間が減るのが嫌なのだ。

所詮僕はそういう人間なのだ。

 

 

もちろん、お金は欲しい。

ただ、お金のために自分の体を削るようなことはしたくない。

 

こんなこと考える自分は弱いのかもしれない

甘い考えをしているのかもしれない

 

でも、これが自分なのだ。

マイノリティには、たくさんのプレゼントを与えられている

僕が不登校になってよかったことがいくつかある。

 

不登校だったからこそ、同じ不登校経験にある人とはすぐ仲良くなれた。

「君も学校行ってなかったん?仲間ー!」って感じで、不登校というだけで仲良くなることができる人は結構いた。

 

不登校だったからこそ、不登校児支援の活動に興味を持って取り組むことができた。その活動の中で、大学生、大学教授、臨床心理士、別の大学の学生、多くの人と出会えた。

 

不登校だったからこそ、社会学の視点から不登校を研究しようと思えた。

そして不登校という自分にとって重大なテーマを扱ったからこそ、教授に「文句なし!」と言われるまでの論文を書けた

 

 

不登校は、ネガティブで排他的なイメージがある言葉だ。不登校児というと、どこか社会の輪の中から外れている印象を抱く人が多いのではないだろうか。

僕はそんなネガティブで、排他的なものから多くのものをもらった。友人、ご縁、挑戦するチャンス、情熱をかけられる研究テーマ。多くのものを不登校からもらった。

 

 

 

マイノリティになるということは、新たな社会との繋がり方を得ることなのではないだろうか。

マイノリティだからこそ、似たような人と繋がりやすくなったり、普通の人と違う立場から人と、社会とつながることもできる。

マイノリティであるということは、悪いことだけではない。マイノリティであることは私達にたくさんのプレゼントを与えてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

僕は去年の春、発達障害というマイノリティ属性を手に入れた。

発達障害というマイノリティ属性を手に入れたことで、発達障害を持った人と繋がるきっかけが増えた。また健常者の友達から発達障害について聞かれるようなポジションにもなった。

発達障害というマイノリティになったからこそ、また新しいご縁が生まれたし、友達との関係性も少し変化した。

 

発達障害という、決してポジティブではないものが、これから僕にどんなプレゼントを運んでくるのか。

それを楽しみにしている。

 

 

 

 

 

The Everlasting Guilty Crown

youtu.be

 

世界は終わりを告げようとしている

誰にももう止められはしない

ーー始まる

崩壊の交響曲が鳴り響いて

降る雨はまるで涙の音色

 

教えて

 

支配し支配され人達は

いつかその心に憎しみを

そして愛することを思いだせず

争うの?

 

この歌が聞こえてる

生命ある全ての者よ

真実はあなたの胸の中にある

嵐の海を行く時も

決して臆することのない強さを

くれるから

 

けれども進むほど風は強く

希望の灯はやがて消えていく

「灯りをよこせ」と奪い合い

果てに人は殺し合う

涙などとうに枯れて

 

気づいて

 

その目は互いを認めるため

その声は思いを伝えるため

その手は大事な人と繋ぐためにある

 

この歌が聴こえてる

世界中の寄る辺なき者よ

希望はあなたの胸の中にある

燃え盛る焔の中でも

決して傷つくことのない強さを

くれるから

 

 

その手で守ろうとしたものは

愛するものだっただろうか

紅く染まったその手を眺めて

やっと自らがしてきた愚かさを

過ちと認めるその罪を

とめどなく溢れるその涙を知る

 

この歌が聴こえてる

生命ある全ての者よ

真実はあなたの胸の中にある

嵐の海は静まった

失ったものは数えきれなくとも

 

この歌が聴こえてる

世界中の寄る辺なき者よ

希望はあなたの胸の中にある

悲しみの夜を超える時

必ずあなたは生きていく強さを

持てるから

 

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こんな性癖に刺さるアニソン久しぶりに聴いた。

 

サビの盛り上がりや切実に、願うように歌う感じがとても好きだ。

 

恋人さんと会うときに意識している3つのこと。

天文学的に奇跡的なことだと思うのですが、僕には恋人がいます。

いやほんとに。三次元で。現実で。

 

で、この恋人さんと会うときに心がけていることがいくつかあるのですが、それをまとめて明文化しておいた方がいいなあと思ったのでここに書いておきます。

「こいつ何言ってんだ」みたいに思う人もいそうですが、こんなこと思ってる人もいるんだーくらいに思ってもらえれば助かります。

 

 

1 これが最後、と思っておく。

 

毎回のデート、「これが最後かもしれない」と思って挑んでます。

そこまで収入が高いわけでもない、そこまでかっこいいわけでもない、そこまで健康でもない、そんな自分に、正直男性としての価値はほとんどないでしょう。いつ恋人さんに捨てられるかわかりません。そうでなくても事故や死別で、いつ会えなくなるのかわからないものです。

だからこそ、毎回「これが最後かもしれない」と思って挑んでいます。最後だから優しくしよう、最後だから楽しくしよう、最後だから愚痴を言わないでおこう、最後だからもっといいものにしよう、と思ってます。

そうすることで、少しでも恋人さんにいい時間を提供できる気がするので、そうしてます。

 

2 世界が変わるような経験をしてもらう。

 

…何言ってんだこいつ、とか思ったらごめんなさい。要するに「めちゃくちゃいい経験をさせてあげたい」ということです。

 

すごく感動した後とか、今まで知らかった新しい何かを見た後って、これまでより世界が輝いて見えると思うんですよ。「めちゃくちゃいい経験をさせてあげたい!でもめちゃくちゃいい経験ってなんだ?」って思ったときに思い浮かんだのがそういう「世界がこれまでとは違って見えるくらいすごい経験」すなわち「世界が変わるような経験」なのかなって思いました。これを一つの基準にして、毎回のデートでそれくらいの経験を提供できたらなあと思っています。

それに、「世界がこれまでとは違って見える!」ってくらい感動する経験って後々財産になると思うんですよね。あのときあんなことして楽しかったなー、良かったなーって思い返せるような経験。付き合ってる間はそんな財産になるような経験をたくさん作ってあげたいなあと思います。

もちろんお金や時間の制限はあるわけですが、そこは限られた資源をうまく使ってやりくりしたいと思います。

 

 

3 他の人から見ても「いいなー!」って思えるような時間にする

 

こんなこと言ったらあれなんですが、僕の恋人さん、幸せの沸点がすごく低いと思うんです。「え、こんなことでここまで喜んでくれるの?」ってくらいちょっとしたことで喜んで幸せになってくれます。

それ自体はとてもいいことなんですけど、自分自身がそれに甘えてしまうことがあるなあって思います。多少いろんなものが甘くても雑でも喜んでくれるし、そして許してくれます。でもそういうのに甘えてたらいけないなと。

だから「他の人から見てもこれはいいものか?」「他の人に同じことしても喜んでもらえるか?」ということを頭に置いて行動していきたいです。

 

 

 

以上3点が、恋人さんと会うときに意識していることです。

すごい恥ずかしいことを書いているような気がするけど、この3つを意識し始めてから色々うまく行くようになった気がするので、これからも意識して行こうと思ってます。

 

とにかく恋人さんにいい時間を過ごしてほしい。

もうこれだけですね。これを実現するための3つです。

まだまだできてないことも多いけど、少しずつできるようになればなあと思って頑張ります。

 

 

後、この3つ、仕事や友人関係にも応用できると思うんですよね

関わってくれる人には幸せになってほしいので、恋人関係をきっかけにいろんな人にいい経験を提供できる人間になりたいなあ。

 

 

 

 

 

どんなに苦しくても、生きていればなんとかなると思う。

「あんた学校辞めたり、学校行かない子に勉強教えたり、その親の支援したり、研究したり、いろいろやってきたんじゃん。それら全部整理したら価値にある何かになると思うよ。」

 

友達にそんなことを言われた。ごく最近。

あと「不登校でも別に大丈夫だよ!生きてていいよ!みたいなやつは広がりすぎてもうみんな飽きてると思うから、いざ学校行かなくなった時にどうすればいいかを考えな」とも言われた。その通り過ぎて耳が痛いし、その辺のことをまとめきれていない自分がいる。

 

という訳で、自分のやってきたことから何か価値を提供できないかなと思って、いろいろまとめてる。そしてこうやって発信してみる。

 

 

はじめに学校にいけなくなったり、何か辛い状況に陥ったとき、大事なことってなんだろうって考えてみる。自分の経験から思い返してみたり、少ないながらも今まであってきた人達を思い返して。

 

そしたら、

1番大事なことは死なないことで

2番目に大事なのは捻くれないこと

なのかなって思った。

 

 

 

学校に行けなくなってしまった経験がある人は、自信を無くしていたり、ちょっと捻くれてしまったりしてしまう人が多いと思う。

というか、あれだけ不登校者に対するネガティブイメージが蔓延している中で自信を無くすな、捻くれるなって方が無理だと思うし、えげつないいじめとか、ドラマの世界かよって思うような問題にぶち当たってしまった人も少なくない。

僕の過去を思い返してみても、学校では「あいつどうしたの?」みたいな目で見られて、家では学校に行かないことを責められて、どこにも居場所がなかった。ネットでもまだ不登校への理解とか広がってなくて、田舎だからそういう子に向けた支援もなかった。毎日毎日自分はどうなるんだろうかと怯えながら生きていた。同じような状況で生きていた人は少なくないと思うし、あの状況で自尊心を失うな、捻くれるななんて無理だと思う。

結果として僕は超捻くれた。もともと捻くれてたけどさらに捻くれた。「自分の人生が終わった」「自分はダメだ」「自分の人生を取り返すために人と違うことをしなければならない、戦わないといけない」「自分はダメじゃないと証明しないといけない」と強く強く思い込んだ。それが後々の行動に少なくない影響を与えて、結果として自他共に不幸な結果になってしまったと思う。

 

本当は何も終わってないし、何も失っていないし、何も奪われてないし、特別に何か頑張らないといけない訳でもなかったのだけど。それに気づいたのはつい最近だ。

 

そんな状況だから、自信を無くしすぎて死にたくなってしまう子や、自分なんてダメなんだって捻くれてしまう子も出てくる。家庭教師してた時「先生、僕の人生もう終わりなんですか」って泣きながら相談されたこともあった。本当にみんな悩んでたし、苦しんでた。多分僕には想像もつかないくらい。

 

 

「学校に行けなくなった時どうすればいいか」

そんなことを問いかけられた時、色々と言えることはある。

好きなものに熱中したら?とか

学ぶことはやめない方がいいよ、とか

価値観を広げるために、旅に出たり大学を目指したりするものいいよ、とか

こんな支援施設やあんな支援施設があるよ、とか。

 

でも1番大事なのは何だろうと思ったら、上にあげた

死なないことと、捻くれないことなんじゃないかと思う。

 

なぜか。

世の中が常に進化していて、何もしなくてもマイノリティは生きやすくなっていく、もしくは、自分が生きやすくなるチャンスを掴みやすくなっていくからだ。

 

少なくとも、僕は生きていてよかったなと思う。

2010年に不登校というマイノリティ属性を得て、それから7年生きたが、この7年だけでも様々な動きがあった。

 

SNSとインターネット、スマホが普及し、あらゆる情報が集めやすくなり、離れた人とも気軽につながれるようになった。結果これまででは手に得れることができなかった解決策を得られるようになった。そして世の中には色んな人がいることが伝わっていった。不登校やマイノリティに関する情報もたくさん手に入るようになった。

 

2011年の東日本大震災が一つの契機となって、社会を良くしていこう、変えていこうとする活動が活発になった。結果として生きづらさを抱えた人たちに向けたサービスや仕組みがたくさん開発されるようになっていった。

今この瞬間にだって、マイノリティや苦しんでいる人が生きやすくなるような仕組みやサービスが産声を上げ、水面下で広がっている。

 

2015年にはアメリカ合衆国同性婚を認めたことでセクシャルマイノリティの理解が一気に進んだし、日本の一部の市町村で同性愛者のパートナーシップを認める動きが出てきた。

2016年には文部科学省不登校を問題と見なすことを撤回した。

2017年にはNHK発達障害者の特集を組み放送するなど、発達障害精神障害への理解も深まっていっている。

結果として世の中は、自分と異なるものに対して寛容になってきていると思うし、これまで生きづらかった人たちが少しだけ生きやすくなったのではないかと思う。

 

僕はこの7年間何もしていない。ただ確実に生きやすくなった。技術が進歩し、研究が進み、社会が変わったからだ。世の中が常に進化しているからだ。

 

こんな風に、何もしなくても勝手に生きやすくなるようなことはこれからどんどん起こっていくのだと思う。

だから今苦しい状況にある人は「自分なんてダメだ」とか「自分はもう終わりだ」なんて思わずに、自分の人生や自分自身を投げやりにせずに、とりあえず生きてみてほしいと思う。前に進んでほしいと思う。結構なんとかなるから。

自分の苦しさを軽減できるものがこの世界のどこかに既にあるかもしれないし、それは近い未来に用意されているかもしれない。自分が生きやすくなるそのチャンスを掴むために、捻くれずに生きていてほしい。

 

 

 

 

 

苦しくても、捻くれずに生きること。

 

これは不登校やマイノリティだけに大事なことじゃなくて、全ての人にとって大事なことだと思う。

 

生きていれば誰でも、どうしようもなく生きづらくなる場面に直面する可能性がある。目も当てられないような、生きるのをやめてしまおうかと思うほど苦しい出来事が起こる可能性がある。

それは交通事故や震災のようなもので、どんなに頑張っても避けらないこともあるし、何年も続くときがある。

 

でも生きていれば、生き延びてさえいれば、楽になる可能性があるのだ。楽になるチャンスがやってくる可能性があるのだ。

希望が無いと思って捻くれて、自分で自分の可能性を閉じてしまったり、自分や誰かを傷つけたりするのだけはしない方がいいと思う。自分で自分の人生を壊すのは辛くなるだけだ。

希望はあるから、前に進んでいったらいいのだと思う。

 

 

 

次の職を当てもないし、まだまだ病気の最中だけど、これが僕の人生で学んだことだから

捻くれずに前に進んで行きたい。

いつかこの経験で得たことを、誰かに価値として提供できるように。